ご覧いただいている皆様、それぞれに好きな人、好きなこと、好きなもの
好きな食べ物があるかと思います。
なぜそれが好きで、それを満たすことで自分に何が得られるのかを気にしたことはありますでしょうか。
それが、明確になるとつまりは本当に好きなことがわかってきます。
例えば、
私は小さい頃からプロ野球中継を見て育ちました。
ひいきのチームはともかく、プロ野球を見るということが習慣としてあり、
意識したことはありませんが、きっと好きなことの一つに入れていました。
(ちなみに最近は見る事ほぼありません。)
(前提としてここではテレビ中継と致します)
野球を見ることで満たされることは何でしょうか。
ひいきのチームが勝ことでしょうか。
素晴らしいプレーを見る事でしょうか。
好きな選手がいるのが見られることでしょうか。
かつての私は
勝って喜び、負けて批判。イライラ。気分は解説者気取り。
負けた敗因をとうとうと批判してました。
(そんなに嫌なら見なければいいとよく言われたものです)
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つまり、私の場合、【勝つという光景を目の当たりにすることで喜びを感じていたい】わけです。
こう考えますと、本当に好きなことはプロ野球を見る事ではなく、
【勝つという光景を目の当たりにすることで喜びを感じていたい】わけです。
言い換えれば、プロ野球でなくてもいいわけです。勝ち負けのつくものなら何でもよくなりますね。
この先さらに深ぼってみましょう。
ではなぜ私は、【勝つという光景を目の当たりにすることで喜びを感じていたい】
とう感情になっていたのでしょうか。
そして、なぜ反面負けることにイライラしていたのか。
勝利と敗北は表裏一体。だからどちらも受け入れる必要があります。
負けた時のことを深ぼっていくとより鮮明になってきます。
まず、負けることを許容していないですね、私の感情は。
自分がやっていないのにも関わらずです。
負けるときは大抵何かしら理由があります。
相手がよかった。
エラーした。
など。
そうしたミスについての許容が身についていなかったわけです。
そのマイナスに振れる感情があるからうまくいった(=勝利)時に嬉しいわけです。
ではなぜその発想になるのかと言えば、ミスをする、失敗をするということに
対して許容ではなく、ミスをすれば責められるという価値観を植え付けられて育ったから。
と自分なりの心の内側に気が付くことができました。
【勝つという光景を目の当たりにすることで喜びを感じていたい】ふりをして、
本当は、
【負ける事、失敗することを認めるのが嫌だ(怖い)】ということなのです。
自分のことを深ぼってみると意外なことが見えてくるものです。
ぜひ深ぼってみてください。