私の人生②

前回に続いて。

父親、母親、双子の兄の4人家族で生まれ育った私。

幼いながら私は家族を3対1という風に思っていました。

つまり、私の言い分を聞いてもらえなかったのです。

兄弟げんかがあればいつも悪者扱い。

母親が特にひどかったのですが、私の目線では

兄に甘く、私に厳しい。そう映っていました。

父は海外出張が多く、中立的な立場のつもり

だったのでしょうが、私の話を聞くことをしませんでした。

家族に味方はいない。

早く家を出たい。

この状況から早く脱したい。

そう願っておりました。

そういう状況下、母は私が大学2年の時に亡くなります。

高校生の頃から体調を崩し、入退院を繰り返していきました。

入退院を繰り返すある日、父が母を母の実家から迎えに行った時の事。

母とその両親が、双子の兄だけをなぜ叱るのか、私の事はなんで叱らないんだと抗議!?

にも近い事を父に言ってきたのです。

背景としては兄はその時大学生、

私は現役では受からなかったので受験生をしていました。

その当時の兄は、家事はしない、夜も遅く帰ってくる状態。

父は髪を染めている兄をよく思っていませんでした。

事あるごとに、「髪を戻せ。家事をやれ」と言っていたのです。

まぁ、髪はともかく、男3人だけでの生活です。

協力するのが当然だろうとおもいます。

私は、受験勉強を行いつつ、掃除や洗濯、炊事など時間を

つくってやっておりました。

私を叱る理由がないわけです。

そんな話を私に話しました。

それを耳にして普通でいられるわけがありませんでした。

それ以降、母方の祖父母とは疎遠。

母がなくなる直前に最後の帰宅となったときも

ほぼ無視。

私がこれまでに受けてきたことを考えると

私は単純に好かれていないのだと確信をしました。

母に何を言われてもつっけんどんな対応。

いざ、亡くなるときも涙など一切無し。

無くなるとき、周りは号泣してましたが、

そんな状況を冷ややかに見ているそんな私でした。

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